4. 「神」とは

科学者は、自然界の様々な現象を観察してそれらの現象の背後にある法則を見いだし、その現象を再現させることで知識を獲得し,物質をコントロールする技術を発展させました.
科学者が作り上げてきた物質の知識はすべて、人間が発見する前から存在する法則を解明することで成り立っています。従って、宇宙の法・ダルマの存在を、科学者は否定することはできません。
これらの法則(宇宙のルール)はどこからやってきたのでしょうか?

このルール・法則の存在は,つまり,人間より高位な存在がいることを示しています.宇宙や自然界は,偶然の産物でもなければ,無秩序に動いているのではないのです.
人と動物を分かつもの、それが宗教です。
私たち人間は、決して一人では生きられません。他者の支え合いがあって始めて生きることができます。従って社会を形成することになります。そして社会にはルールが必要になります。
宗教は、宇宙に存在するルール、即ち法・ダルマを教えてくれます.

人間が、命を作ったのではありません.そして自然界にいる様々な動植物も,この宇宙も人間が作ったのではありません。私たち人間は、この宇宙に遍満する法則をコントロールすることはできません。時間を支配することも、生老病死を死を止めることもできません。私たちは、「自分は自由だ、権力や金があれば何でもできる」と思っていても、ダルマ(宇宙のルール)そして時間によって支配されています。つまり、人間より高位の存在がいるのは明らかです。
私たち魂・ブラフマンはどこからきたのでしょう? そして、物質宇宙は何故存在し、どのようにして創られたのでしょう?
「神」とは何でしょうか? これらの疑問に答えることができるのもまた宗教です。

「神」について
物質から生命は生じません。無神論・唯物論の科学者は、物質から生命が生じたと主張していますが、実験室で物質から生命を作り出すことができません。ですからこのような主張には根拠がありせん。
しかし、生命は生命から生まれます。このことは私たちは経験的に知っています。「人間が石ころから生まれた」なんて話聞いたことがありませんよね?
私たち魂・ブラフマンは、同様に魂・ブラフマンから生まれます。
肉眼で認識できない物質を超えた命・精神・ブラマフマンに関する知識は、人間が生み出すことはできません。
命について、物質について、この世界の法であるダルマについて、宇宙や肉体の仕組みについて与えることができるのは、ブラフマンを生み出し、物質宇宙を創造したすべての根本原理である高位の知的生命体・絶対真理パラブラフマンだけです。

絶対真理とは、janmādy asya yato :「そこからすべてが現れる」(ブラフマ・スートラ 1.2)と定義されています。
パラブラマンとは,ブラマンの源です.ヴェーダ聖典では、私たち意識ある魂・ブラフマンの源を、大御霊(おおみたま)・パラブラフマンと言います。
私たち命ある魂・ブラフマンは、魂の根源である大御霊(おおみたま)・パラブラフマンから派生された小さな分霊なのです。

この絶対真理・パラブラマンを、バガヴァーンとも呼びます。
バガヴァーンは、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教のGOD: 「神」を指す普通名詞です。個人の名前を表す固有名詞ではありません。
この「神」は、神道・ヒンドゥー教・ギリシャ神話等に登場する神々とは異なります。神々の根源が、バガヴァーンです。従って本書では、神々と区別するために、GODの訳語を「神」と表記します。神々についは後述致します。

すべての根源である絶対真理・パラブラフマンであるバガヴァーンが直接与えてくださった知識を、ヴェーダと言います。ヴェーダは知識を意味し、取扱説明書のような存在として物質宇宙創造時から存在し、人類の母語であるサンスクリット語で口伝されたものです。
このように創造者である絶対真理・パラブラフマンが,私たち非創造者に与えてくださる智識は完璧です。従って, 真の権威となります.これが確実に真理・真実を獲得する方法で,上から下へと伝えられるプロセス: アヴァロハ・パーンタavaroha-panthāと言います。

あらゆる存在するものの根源である絶対真理を巡って、一元論と二元論という2つの理解の仕方があります。
一元論は、絶対真理・パラブラフマンと自分・魂・ブラフマンは、同一という理解です。
その為一元論では、絶対真理は人格も姿もないブラフマ・ジョーティ(ブラフマンの光輝)で、私たち魂・ブラフマンもまた、ブラフマ・ジョーティ(ブラフマンの光輝)だという考え方です。従って、バガヴァーンと自分は同じ、つまり「神」と魂は同じ、即ち、自分は「神」だということになります。従ってこれは完全に誤った理解です。

二元論は、絶対真理・パラブラフマンと自分・ブラフマンは、異なった人格という理解と認識です。これは、バガヴァーンと自分は個別の人格であるという正しい理解であり悟りです。
私たち魂が愛を感じ、「愛し、愛される」ことに幸福・喜びを感じるのは、 絶対真理・パラブラフマンであり父であるバガヴァーンと、子供たちである私たち魂の間に、 「愛し、愛される」 という関係があるからです。
これが真のヴェダーンタ哲学の理解です。ヴェダーンタとは、ヴェーダの結論という意味です。
私たちに意識があり、知性や理性があり、愛を感じ、様々な感情があり、人格があり、姿があるのは、絶対真理バガヴァーンにこれらすべてが存在しているからです。絶対真理・パラブラフマンであるバガヴァーンが、人格を持ち姿があるから、私たちにそれらが反映されているのです。

従ってシャンカラチャーリャーが説くアドヴァイタ哲学・不二一元論は,絶対真理の不完全な理解です.ブラフマジョーティ(ブラフマンの光輝)には根源があります。ブラフマンの光輝の源は,人格と姿を持ったバガヴァーンで、ブラフマ・ジョーティは、バガヴァーンから放たれるオーラ(光背)なのです.
「絶対真理が、物質界にいる私たち不完全な人間が有するような人格や姿を持つはずがない」と考えるのは,この肉体概念に影響された不完全な経験的知識に起因する「無知」の為です.

絶対真理パラブラフマンも私たちブラフマンも、同じブラフマンで質的に同じです。しかし、パラブラフマン・大御霊(おおみたま)は、無限大の魂ですが、私たち魂はその大御霊(おおみたま)の分霊である極微小の魂(ブラフマン)です。
この絶対真理・パラブラフマンについはの詳細は、別の著作「わかりやすいヴェダーンタ哲学入門(仮称)」でご説明致します.

以上、第4章 「神」とは  終了