11. 物質界からの解放

どうして人は騙し合うのでしょう? どうして殺し合うのでしょう? どうして愛し合えないのでしょう?
それが,私たちの病気なのです.
この病気を本気で治そうとするならば,自分が肉体ではなく魂であることを知らなくてはなりません。そして実際、魂としての本来の健康的な純粋意識・本性(ダルマ)で行動することができるように、宇宙の法(ダルマ)に従った生き方を学ばなければなりません。

この世界はあなたのものでも、誰ののでもありません。また, ユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒、仏教徒、ヒンズー教徒のものでもありません。世界の支配者・所有者は,私たち魂の父であり,宇宙を創造なさった絶対真理バガヴァーンです。このことを学ぶことで,人間社会に平和を作り出すことができます.
bhoktāraṁ yajña-tapasāṁ sarva-loka-maheśvaram
suhṛdaṁ sarva-bhūtānāṁ jñātvā māṁ śāntim ṛcchati
すべての供犠・苦行を楽しむ者として,更に全世界(精神界・物質界)の至上支配者・所有者として,すべての生きとし生けるものの友として私(バガヴァーン)を識る者は,平和を達成する.(バガヴァッド・ギーター 5.29)

宗教の大切さ
宗教は争いの種になっています。これは肉体意識から来ています.自分を肉体と同一視する人々は、自分が或いは自分たちが他者より優れていることを示そうと競争します。その好例がオリンピックに代表されるスポーツ競技です。世界中のアスリートたちは、自分が帰属する国家の代表として参加することを名誉とし、そしてその国の民衆は,自分たちの国の代表になった選手が金メダルを取るように国を挙げて応援します。「金メダルを取ること,世界で一番になること」が、選手にとって名誉であり,国民にとって誇りになるのです。同様に、宗教もこのような競争意識で捕らえる人々が大勢います。
「自分が選択し、信仰している宗教が一番でなければならない.他の宗教より劣っている訳がない.」と思い込むのです.

そして宗教のリーダーたちは、自分たちの宗教の勢力を維持する為に,信者を囲い込み、脱落者がでないように自分たちの宗教の正当性をアピールします.
更に自分たちの勢力を拡大するために/信者を獲得するために、他の宗教を異端視し,排除し,攻撃します。そして民衆を自分たちと同様に焚きつけて、自分たちの宗教を守ることが、信心に繋がり、良い信者の証となるように仕向けます。このような競争意識は,すべて宗教指導者の責任です。俗心の宗教指導者たちは、人間を支配し、富を獲得する手段として宗教を利用することもしばしばです.このように宗教を争いの種にするのは、人間の愚かさからくることであり、また宇宙のルール・ダルマを嫌うアスラ(悪魔・鬼)の破壊工作でもあります.

物質界に堕ちた私たち魂はすべて,自分が世界の中心になりたい,自分が「神」になりたいという物質の病に罹った病人です.
例えば,私たちは糖尿病などの生活習慣病になって病院に入院したとします.世界には糖尿病を改善させる沢山の病院があります.けれどもそれぞれの病院にいる病人たちが,「自分たちのいる病院が最高だ.自分たちだけが救われる」,「他の病院は劣って救われない.間違っている」と競争意識から非難したり攻撃するのは愚かで意味の無いことです.
また病人は,病院に入ることがゴールではありせん。病気を治して健康を回復することがゴールです。

同様に、私たち人間のゴールはあるどこかの宗教団体の信者になることではありません。
神性な宗教は、私たちの自己中心的欲望を持った私たち物質の病を持った病人を癒して、本来の健康的な魂の意識状態に回復させることです。従って、宗教が争い合うことなど本来あってはならないことなのです。

宇宙のルール、ダルマを学びダルマを遵守することをしていれば、自己中心的な生き方、罪深い生き方を改心して、まっとうな、健康的な本来の魂の意識を取り戻すことができます。どの真正な宗教であっても、同様に魂の健康を回復させることができます。こうして人間としての正しい生き方、行動、考え方を学ぶことができます。ユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒、仏教徒、ヒンズー教徒になることがゴールではないのです.
その宗教を通して魂の健康を回復させることがゴールです。

このように精神的に発達したのが江戸瓦解(明治維新)以前の私たちヤマトびとです。この精神的発達は、神道と仏教を融合させた聖徳太子の偉業によるものです。魂・ブラフマンに基づいた精神的智識を持った神道と主仏陀がもたらしたダルマ・宇宙の法が融合して、ヴェーダーンタ哲学に近い思想体型を形成したのです。こうしてヤマトびとは特に、無益な殺生で動物の肉を食することはしませんでした。これがヤマトの人々に慈悲心を養いました。こうした他者を慮る心情や高い精神性は、キリスト教の国々からやってきた宣教師や商人や医師等からも評価を受けてきました。宗教によって発達した人間性は、異なった宗教を信じる者さえも魅了するのです。
つまり、それぞれの宗教が理想とする尊い人格や精神性は、─それは主仏陀やモーセ師、キリスト師、ムハンマド師が体現した質でもありますが─、共通なのです。この境地は、物質の病が癒えた健康な魂の状態なのです。
因みにヤマトの人々は,この高い精神性を持っていた故に、世界を完全支配しようとするNWO(新世界秩序)の首謀者たちに妬まれ、彼らの計画の妨げとなるとして警戒され、戦争や自然災害に見せかけた攻撃や社会秩序の破壊活動を受けて続け,滅亡へと向かっています.

真正な宗教を実践することを通して、私たちは、自分が肉体ではなく精神的な存在・魂であることを学び、世界には絶対的支配者がいることを学び、主が定めたルールに従うことが、争いから平和を達成する唯一の方法であることが理解できるようになります。この世界は、自分の為だけにあるのではありません。他の兄弟姉妹も一緒にいるのです。すべての生きとし生けるものの中にいるブラフマン・魂は、すべて私たち魂、共通の父を持つ、兄弟姉妹なのです。

真の宗教の目的は、自分中心の自己愛の病的状態から、愛を学び、他者愛を育て拡大し、最終的にはバガヴァーンへの愛に到達することです。
バガヴァーン由来の神性な宗教を正しく実践すれば、動物的な人間や魔性な人間から、皆、精神的な人間、文明的人間・アーリャに発達することができます。これが真の人間の文明です。物質文明を発達させることは、真の発達ではないのです。私たち人間が進むべき道は,肉体意識に基づいた物質主義ではなく、自分も他者も魂という同胞意識に基づいたブラーマナ主義なのです。
kṛnvanto viśvam āryaṁ
すべての人間をアーリャ・高潔な文明人にしよう.(リグヴェーダ 9.63.5)

ヤマトびとは、このアーリャに近いところまで発達していました。生まれや血で、人間の価値は決まるのではありません。精神的な発達はすべて、バガヴァーン由来の真正な教えを学び、実践することによってのみ到達することができます。
魂の概念を持った神道と、ダルマ(宇宙の法)の遵守を説く仏教がコラボしたことで(神仏習合)、日本に生まれた私たちの先輩たちは精神的な恩恵を受け、ヤマトびとになったのです。

人生の目的
人生の目的は、より強大な権力を持つことでもなく、財力を増やすことでもありません。これらを獲得するために,人を騙し、傷つけ、苦しめ、暴力を振るい、人の自由や人生や金や命を奪うといった罪を犯せば、人間の法によって罰せられますし,宇宙のルールであるダルマによって罰せられます.そしてどれだけ権力や財力を獲得しても,死とともにすべてを失うことになります.
死がある世界では,私たちは決して心が安らかになることはできません.心の平安がなければ,幸福になることもできません.この生老病死を繰り返す物質界は,私たち永遠の実在である魂・ブラフマンが本来いるべきところではないのです.従って,この世界に自分の王国を作ろうとしても,砂上の楼閣と同じで,時の力によってすべて滅んでしまいます.

人間が常に争い合うのは、人間社会に起きているすべての問題は、ブラフマンやブラフマンの源であるパラブラマン,つまり精神に関する智識に無知であることから起きています。
これはすべて,「自分自身を知らず、自分や他者の命の源であり物質の根源である絶対真理について知らず、自分と絶対真理との関係を知らず、この物質の世界のルールであるダルマ・宇宙の法を知らず、自分が世界の中心、自分が他者より上でないと気が済まない」という自己中心的な人間が再生産される魔性の思想・「無神論・唯物主義社会」に基づいて私たちが生きているからです.

こうして人間社会から宗教が衰えて精神的智識が学ばれなくなり,その結果,まっとうな人間としての質-他者への共感する慈悲心・愛が失われ、自己中心的な欲望を抑えられず他者を犠牲にしても自分の感覚器官や心の満足を優先させ、その為に平気をウソをつき、日々罪を犯すようになり、その結果、魚や獣と変わらない弱肉強食社会へと堕落してしまったのです。

けれども私たちが,「自分がより良い人間でありたい,人間同士皆平等で互いに尊重できる平和な社会にしたい」と望むのであれば, 宇宙の普遍的なルールであるダルマ・宇宙の法に従わなければなりません.
何故なら人間は,肌の色が違おうとも,民族や文化や国や宗教が違っていても,その人間の肉体の中にいる魂は皆,共通の父に持つ,兄弟姉妹だからです.この真実を知れば,何も争い合う必要はないのです.

しかし,私たち魂が物質的な望みを持ったことで受肉し、物質の肉体を纏ったことで,自分(ブラフマン)を見失い,パラブラフマン・「神」を忘れ,自分中心の欲望を満たそうと,暴力や金で他者を支配し所有しようとしているのです.
この物質の病を克服し,私たちが自分自身を取り戻し,慈悲心や愛といった人間らしい純粋な心を取り戻す為には, バガヴァーンが与えてくださった神性なダルマを実践してバガヴァーンとの関係を修復し, 自己中心的な様々な肉欲・性欲・所有欲といった様々な欲望を「神」の愛に昇華させなくてはなりません.
これが,私たちの物質の病を癒やし,転生輪廻の繰り返しから解放されて,ブラフマン(精神)の世界である「神」の世界に帰る唯一の方法なのです.
精神的に発達するためには 自分が肉体ではなく,ブラフマン・魂であることを覚醒しなければなりません.

以上、第11章 物質界からの解放 終了