5. 宗教とは

ヴェーダは、カリユガという今から5100年前に始まった宇宙の冬の時代─人間の知性が衰え、記憶力が低下し、人間の質が劣化して悪魔化する最も堕落した時代─に、バガヴァーンの化身・聖ヴャーサ・デヴァによって文字化されました。
ヴェーダは本来,ブラフマンを理解し認識できるブラーマナ僧にのみ口伝されていましたが,文字化されたことで,自己中心的な無神論的な魔性な人間も読むことができるようになった結果,悪用されるようになってしまいました.

その最たる例が,動物の供犠の拡大解釈による動物の屠殺及び肉食です.
この命を奪うという大罪を止めさせる為に, バガヴァーンが主仏陀として降臨して,ヴェーダを読むことを止めさせるために否定しました.主仏陀は,「神」・バガヴァーンの存在を認めない無神論者たちに, 絶対真理・バガヴァーン・「神」は存在しないという「無」の概念を説きました。こうして無神論者から絶大な支持を得た主仏陀は、無神論者たちにダルマ・宇宙の法に従わせてアヒムサー・非暴力を徹底させたのです。
従って主仏陀の説かれた「無」の思想は方便で,ヴェーダをダウングレードした教えなのです.
また「空」の思想は、主仏陀が地上界から去って約500年頃に,「無」の思想の矛盾点を修正する為に,後世の弟子たちが手を加えたものです(人間によるアップデート)。従って,厳密な意味では,「仏教(仏の教え)」ではありません.

こうして主仏陀によってインド全土で、人々が再びダルマに従うようになった後に、バガヴァーンの召使であるシヴァ神がシャンカラチャーリャーとして化身し、「無」や「空」の概念を宗論で論破し,永遠の実在のブラフマンの教義に人々を引き上げ(アップグレード)、民衆をヴェーダの入り口へと導きました。これが仏教衰退の真相です.
このように主仏陀の教えもシャンカラチャーリャーの教えも、このような目的があったのです。
そしてインド全土にブラフマンの理解が浸透した後に、バガヴァーンは地上界に、ヴィシュヌ・スワミ、ニンヴァルカ・チャーリャ、ラーマヌージャ・チャーリャ、マドヴァ・チャーリャを派遣して、カリユガが始まる以前の本来の正統なヴェダーンタの理解と実践に人々を導きました。

またバガヴァーンは、人間の代表であるモーセ師に直接十戒を説き、その石版を残してくださいました。これがユダヤ教です。その後,ユダヤ教の聖職者による我田引水的解釈や、宇宙の法であるダルマに準拠しない身勝手な「律法」や選民意識を正す為に(アップデート) バガヴァーンは、精神界にいる無数の「健康な」子供たちの中から物質界に遣わしたのがイエス・キリスト師です。自己中心という物質の病の為に物質界に堕ちた私たち兄弟姉妹に、過ちの気付きを与えるために降誕なさいました。
「神」は無限の存在です。キリスト師だけが唯一の子ではありません。私たち命あるもの・魂・ブラフマンすべてが、「神」の子供たちです。
従って、キリスト師を「神」とする理解は誤りです。
「神」という無限大の魂とキリスト師という極微小の魂は、個別の魂です。しかし、大海と大海の一滴のようにその質は同じです。
キリスト師が使命を果たしてこの世界を去られた後、師の教えを引き継いだ聖職者たちによる誤った考え方(三位一体論)や、聖職者の権威主義を修正する為(アップデート)に、「神」は天使ガブリエルを遣わし、人間の代表者ムハンマド師に説かせ、その内容の変更を固く禁じたのがイスラム教です。(天使とは、ヴェーダ・神道・ギリシャ神話の神々のことです。)

従って,これらバガヴァーン由来の宗教はすべて神性で,私たち魂の真の利益になるものです。魂の真の利益とは、この生老病死を繰り返す物質界から自由になり、本来の自分を取り戻し、バガヴァーンとの関係を回復させることです。
このように真正な宗教とは、自己中心的な望みの為に物質界に堕ちた私たち放蕩息子・娘に、すべての魂の父であるバガヴァーンが,「私たちは肉体ではなく魂・ブラフマンであり、私たちはバガヴァーンになれない」ことを悟らせる為に,宇宙のルールを教え,精神的智識を授けるものなのです。

宇宙のルール、ダルマ・法(宗教原理)は、私たち魂(ブラフマン・命)の源であり、物質宇宙を創造した絶対真理、大御霊であるバガヴァーンだけが定めることができます: dharmaṁ tu sākṣād bhagavat-praṇītaṁ (バガヴァッド・プラーナ 6.3.19).
従って、宗教は人間が作り出すことなどできません。故に,人間が作った宗教はすべて偽ものです。
このような邪な人間が不遜にも宗教を作り出すのは、自分の物質的利益と無知な人々の支配者となって、己の物欲・性欲を満たす為です。

ブラフマン・精神について無知の人々は、真理・真実がわからない為に,センチメンタル的な奇麗事やを言う詐欺師たちの甘言に容易に騙されてしまいます。こうした詐欺師は,口では立派なことを言っても実際の私生活では,様々な罪を犯し堕落した生き方をしてているために公開することができません。騙されている人々は,自分が騙されていることなど知らず, 「自分は救われる」と思い込み自己満足します。更にダルマを学ぶことも実践することもない為に,自分の肉体の死と共に失われてしまう物質的な恩恵や御利益を追い求め,様々な罪を犯します.このような詐欺師から、私たち魂にとって,最も重要な智識─「真の自分について、絶対真理・バガヴァーンについて、そしてその関係について」学ぶことはありません。また「バガヴァーンが宣言した宇宙のルール・ダルマについて、そのルール・ダルマを守ることの重要性について」学ぶことがありません。宗教詐欺師たちは、無知な人々を支配し・利用し・金をかすめ取る為に、偽のダルマを作り出します。こうして騙された人々は、生老病死の繰り返しを解決するという魂本来の人生の目的の為に生きる機会を逸し、誤った道を進むことになります。

人々は、ダルマを学ぶことで「何が罪なのか」を知ることができます。このように普遍的な宇宙に従うことで、人間社会は健全に保ちながら、人々が精神的に発達していくことができます。
そして私たちが肉体ではなくブラフマン・魂であることが理解できるようになり,そして実際認識できるようになります.更に,ブラフマンの源であるパラブラフマンも理解できるようになり,そして実際認識できるようになります.
このような精神的な発達こそが,人間の真の発達であり,真の成功であり,人間社会の真の発展に繋がるのです。様々な種類の人間の肉体――白い肉服・黄色い肉服・黒い肉服――を纏っていても,その服を着ている魂は皆,バガヴァーンという同じ父を持つ兄弟姉妹だとという意識になったなら,互いに利用したり,騙したり,奪ったり,傷つけたり,殺し合うこともなくなります.

また真正な宗教であっても様々な問題が生じています。これらの宗教の問題は,宗教指導者にあります。聖職者でありながら、「自分を肉体と同一視するような精神的に発達していない聖職者が、俗人のように権力や金や性欲に溺れ、自分の欲望を満たす為に真正な宗教を利用するのです。こうして主仏陀、モーセ師、キリスト師,ムハンマド師に伝えられたダルマ・宇宙のルールを,後世の宗教指導者たちが不遜にも勝手な解釈をして改変したり,戒律を勝手に緩めて形骸化するのです。この結果、聖職者たちは身なりは聖職者として立派な出で立ちをしていても、その人間の中身は俗人と変わらなくなってしまいます。このような堕落した聖職者が宗教という看板を使って,自分たちに都合よく信者を支配・利用しようと勝手な教義やルールを創作して付け加えたりするのです。ダルマ・宇宙のルールは永遠不変の真理です.私たち人間が自然界の様々な法則を変更することはできません。従って真正な宗教の担い手の人間が勝手にそのダルマの解釈や変更を加えたとしても,それは人間社会で通用するかもしれませんが、宇宙のルールであるダルマ自体を変えることはできません.

バガヴァーンの望みは,物質界に堕ちた子供たちが帰ってくることです.その為に,バガヴァーンは、私たちが罪を犯すことなく、そして罪を浄化するために宇宙の法・ダルマを教えるのです。そのダルマの教えを人々は、宗教と呼ぶのです。この重要性を知らず,バガヴァーンが教えたくださった真正なダルマを、愚かな宗教指導者たちが勝手な解釈・変更を行ったり、邪な宗教詐欺師たちが嘘のダルマを作ったら、これらの指導者たちや関係者たちは, その大罪の責任を負い続けることになります.つまり,その誤った解釈・変更を加えた人造偽ダルマが人間社会に存在する限り, 地獄から出ることができなくなります.こうして人々に,宇宙のルールであるダルマを誤って教えたり,宗教を利用した詐欺師たちは,今世では権力や金や名声や性欲を満たして「うまくやった」と思っても,死後は大変なことになります.

このように聖職者と言えども、自己中心的な物質的欲望というのは大変強いのです。これが、物質界に堕ちた私たちすべての魂の病気なのです。
ではどうやって真の聖職者を見つけることができるでしょう?主仏陀やキリスト師は,弟子たちと常に寝食を共にしました.真の指導者は,自分の生き様を裏表なくすべて見せて,ダルマに従った聖なる生き方の手本を示します.これが真の宗教指導者の姿です.真の聖職者を判断するには,言葉だけでは騙されます.私たちは,偽の宗教家が聖人のように語る美辞麗句に騙されることなく,その生き様・行動で判断すべきです.
karmendriyāṇi saṁyamya ya āste manasā smaran
indriyārthān vimūḍhātmā mithyācāraḥ sa ucyate
活動的な感覚器官を理性で制限しても,心が感覚器官が欲する感覚対象物を思っていれば,その者の心は乱され偽善者と呼ばれる.(バガヴァッド・ギーター3.6)

以上、第5章 宗教とは 終了