9. ナラカ・地獄

vedaiś ca sarvair aham eva vedyo vedānta-kṛd veda-vid eva cāham
全ヴェーダによって私(バガヴァーン)は識られる。私はヴェーダを説き(編纂し)、ヴェーダを識る者だ。(バガヴァッド・ギーター 15.15)
バガヴァーンが授けたヴェーダの精神的知識や,バガヴァーン由来の真正な宗教の精神的知識に無知な現代人は,「地獄などは,人間が作り出した神話で存在するわけがない」と勝手に思い込みますが,実際に存在します.死ねば分かります.私たち魂は肉体を纏うと,その肉体を自分と同一視するために,その肉体の感覚器官で得た不完全な経験的知識を正しいと勘違いし,肉眼で見えないものは存在しないと思い込みます.こうして自分に都合が良いものを「正しい」,自分に都合が悪いものを「間違い」だとする勝手な基準で,宇宙の現象や仕組みを理解しようとします.

けれども,肉体の枷から自由になると,肉体から離れると,つまり死ぬと,魂としてこの宇宙の現象や仕組みを,その厳しい現実を実際に目の当たりにします.私たちは自分が属する国で生活している時,その国には法律があり,その国に住む人々はその法律に縛られていることを体験的に知っています.同様に,私たち魂が所属するこの宇宙には,バガヴァーンの代理を務める神々・天使が統治する一つの大きな政府があることを,死後,知ることになります.

そして人間の肉体を終了したときに,「人間に生まれ,人間としてどのような生きかたをしてきたのか」,その生き様を吟味されるのです.善行をした者は,天上の世界・天国に昇進され,神々或いは天上の住民に転生します.けれども罪を犯した者は,身柄を拘束され,地下界の最深部にある司法と刑罰の場であるナラカnaraka:地獄へと連行され,ダルマ・法の守護神であるyamaraja(閻魔大王)によって裁かれ,罪に応じた刑罰を受けることになります.

aneka-citta-vibhrāntā moha-jāla-samāvṛtāḥ
prasaktāḥ kāma-bhogeṣu patanti narake ’śucau
沢山の欲望に駆られ,自分が世界の中心だという幻想に捕らわれ,絶えず感覚器官を満足させようとする者は,不浄な地獄へと落ちていく.(バガヴァッド・ギーター 16.16)

tri-vidhaṁ narakasyedaṁ dvāraṁ nāśanam ātmanaḥ
kāmaḥ krodhas tathā lobhas tasmād etat trayaṁ tyajet
肉欲・怒り・貪欲――これらは地獄への門だ.故に,自分を堕落させるこれらの3つを捨て去るべきだ.(バガヴァッド・ギーター 16.21)

バガヴァーンの完全拡張分身であるパラマートマー(超霊魂)は,目撃者として私たち魂の全活動を見て,聞いて,知っています.ヤマラージャ(閻魔大王)は, 私たちと一緒にいるパラマートマーにアクセスして,その魂の情報を共有する能力を与えられています.ですから,誤りなく,公平公正に罪人を厳正に裁くことができます.こうして正義が実現されるのです.

ナラカ・地獄の存在は、神道・仏教・ユダヤ教・キリスト教・イスラム教でも説かれています。ナラカは奈落という漢訳で伝わっています.神道では黄泉と言います.これらは、私たちに宇宙の法・ダルマを教え正しい生き方を学ばせる為にあります。こうして私たちが一時的な満足の為に、ダルマに反した自己中心的な行動で他者を苦しめた罪で、死後、地獄で苦しまないように警告しているのです。

不完全な人間社会では,法体系も不完全です.その為,権力者や財力者や巨悪な人間たちは,しばしば罪を問われなかったり,刑に処することを免れたりします.人間社会では,正義が実現されることが少ないのです.強者は、真実が暴かれたり,語られたりすることがないように,権力・暴力や金の力でねじ伏せるからです.

しかし,宇宙はバガヴァーンによって支配されています: mayadhyakṣeṇa prakṛtiḥ suyate sa-caracaram (バガヴァッド・ギーター 9.10)
バガヴァーンが直接統治する精神界の一角に物質界があります.従って全世界はすべてバガヴァーンの管理下にあります.
物質界に堕ちた魂たちは,自分たちの自由に様々な活動をすることができますが,他の兄弟姉妹の魂たちも一緒に活動することになるので,統一した共通のルールの範囲内で活動することが求められます.従って,そのルールを破れば罰せられることになります.

宇宙を創造したバガヴァーンだけが,この宇宙のルール,つまり宇宙の法律・法則・ダルマを作ることができます: dharmaṁ tu sākṣāt-bhagavat-praṇītam.(バガヴァッド・プラーナ1.7.6)
そしてそのバガヴァーンは,御自身を無数に分身させて,原子の中にも,宇宙の中にも存在するだけでなく,すべての生きとし生けるものの心臓や成長点(植物)の中にいます.あらゆる肉体は,魂の乗り物・yantra・マシーンです.そのマシーンの動力源である心臓は,バガヴァーンが動かしています.
sarvasya cāhaṁ hṛdi sanniviṣṭo mattaḥ smṛtir jñānam apohanaṁ ca
私(バガヴァーン)はすべての生命体の心臓に居る。私から、記憶・智識・忘却が生ずる。(バガヴァッド・ギーター 15.15)

avibhaktaṁ ca bhūteṣu vibhaktam iva ca sthitam
bhūta-bhartṛ ca taj jñeyaṁ grasiṣṇu prabhaviṣṇu ca
すべての生命体の中にいる超霊魂・パラマートマー(バガヴァーン)は,分割しているように見えるが,実際は決して分割されることはない.超霊魂・パラマートマーはすべての生きとし生けるものの肉体を作り出し,養い,そして破壊する.これが智識だ.(バガヴァッド・ギーター13.17)

そして私たち魂もまた,心臓にいます.つまり,心臓の中に,私自身である魂・ブラフマンとパラマートマー(超霊魂・バガヴァーンの拡張分身)が一緒にいるのです.
samaṁ sarveṣu bhūteṣu tiṣṭhantaṁ parameśvaram
vinaśyatsv avinaśyantaṁ yaḥ paśyati sa paśyati
すべての生きとし生けるもの(肉体)の中にいる個別の魂と一緒に,不滅のパラマートマーが居ることを見る者は,真実を識る.(バガヴァッド・ギーター 13.28)

bahir antaś ca bhūtānām acaraṁ caram eva ca
sūkṣmatvāt tad avijñeyaṁ dūra-sthaṁ cāntike ca tat
超霊魂・パラマートマーは,すべての生きとし生けるものの中や外に存在し,更に動く生物や動かない生物の中にも存在する.超霊魂・パラマートマーは超希薄であるために,物質の感覚器官では認識できない.超霊魂・パラマートマーは,最も遠くに居ながら,最も近くに居る.(バガヴァッド・ギーター 13.16)

sarvataḥ pāṇi-pādaṁ tat sarvato ’kṣi-śiro-mukham
sarvataḥ śrutimal loke sarvam āvṛtya tiṣṭhati
超霊魂・パラマートマーの手・足・目・頭・口・耳はどこにでも在る.このように超霊魂・パラマートマーは存在し,世界に遍満している.(バガヴァッド・ギーター 13.14)

gatir bhartā prabhuḥ sākṣī nivāsaḥ śaraṇaṁ suhṛt
prabhavaḥ pralayaḥ sthānaṁ nidhānaṁ bījam avyayam
私(バガヴァーン)は,目的地であり,維持者であり,絶対的主人であり,目撃者だ.そして保護地であり,すべての魂の親友だ.私は,創造・維持・破壊であり,安住の地であり,永遠の種だ.(バガヴァッド・ギーター 9.18)

悪人は,暗闇を好みます.何故なら,自分の罪深い行為を闇に隠れて行うことができるからです.そして自分の犯罪的行為を人に見られないようにします.或いは,自分の正体を隠して黒幕として君臨し,悪事を下っ端の実行役にさせます.これが陰謀論のカラクリです.

私たちの粗雑な物質の肉体の眼ではバガヴァーンの存在を見ることができませんが,バガヴァーンはあらゆるところにいらっしゃるのです.バガヴァーンはすべてをご存じです.人間を騙せても,バガヴァーンを騙すことはできません.

人は,社会で他者より権力や財力を握るようになると益々横柄になり、「自分は神だ、自分が法だ」として、人間の法を無視して何でも好き勝手に振る舞うようになります.
このような傍若無人の魔性の人間は,バガヴァーンの存在を否定し,無視しますが, 宇宙には人間が改変することもできない普遍的なルール・ダルマが存在していることを知りません.
地球というちっぽけな場所で,自分勝手なルールを作って人間社会を牛耳り得意になっている巨悪の権力者や財力者は, 自分より弱者の人間たちに裁かれるからことからうまく逃げおおせたと思っていても,自分に必ず訪れる死から逃れることはできません.
宇宙の法である厳格なダルマの前では為す術もなく, 死後, 宇宙の法・ダルマの元で,厳格に裁かれ,自分の犯した罪で苦しむことになります.

以上、第9章 ナラカ・地獄 終了