10. ブラフマンを認識する為に

私たち魂は,物質の肉体に覆われている為に,能力に限りが有る物質で構成された肉眼では,ブラフマン(魂・精神)を認識することも, パラブラフマン(バガヴァーン)を見ることはできません.またどんな物質的な計測器を発明しても、ブラフマン・魂や,バガヴァーンの存在を捉えることはできません.何故なら,魂もバガヴァーンも物質を超えたブラフマンだからです.
ブラフマンの存在を理解し、更にはブラフマンの存在を感じるようになる為にはまず,自分が肉体と同一視するような行為を止めなければなりません.つまり,真正な宗教で説かれている戒律を遵守することです.これが物質の病に罹った私たちが健康を取り戻す第一歩です.
この健康を取り戻す具体的な方法は,最後のエッセイでご説明致します.
自分を肉体と同一視している限り,ブラフマンの存在を哲学的にも理解することも,体験することもできません.
ヴェーダの智識を学び,ダルマに従い,ヨーガを実習することで, 自分がブラフマン・魂であることを,頭で理解するだけでなく,実際に体験的に理解することができます.
同様に,私たちは, パラブラフマンであるバガヴァーンの存在も,認識できるようになります.パラブラフマンを肉眼で見るのではなく、肉体の枷から自由になって、魂としての本来の能力(霊眼)で認識することができるようになるのです.

eṣa devo viśvakarmā mahātmā sadā janānāṃ hṛdaye saṃniviṣṭaḥ
hṛdā manīṣā manasābhikḷpto ya etad vidur amṛtās te bhavanti
世界を創造なさる無限大の魂である至上主は,すべての生きとし生けるものの心臓にいらっしゃる.主は, 愛・知性・心を通した瞑想によって御自身を現わす.こうして主を識る者は,不死となる.(シュヴェタシュバトラ・ウパニシャッド 4.17)

一般的に,この物質界にいる人間たちはバガヴァーン・パラブラフマンを認識することはできません.
tribhir guṇa-mayair bhāvair ebhiḥ sarvam idaṁ jagat
mohitaṁ nābhijānāti mām ebhyaḥ param avyayam
3種類の物質の性質(徳性・激性・鈍性)で構成された肉体に化かされている為に,物質界にいる者たちは,物質を超越し不変の私(バガヴァーン)を知らない.(バガヴァッド・ギーター  7.13)

na saṃdṛśe tiṣṭhati rūpam asya na cakṣuṣā paśyati kaścanainaṃ
主のお体は,視覚の対象ではない.誰も肉眼で主を認識することはできない.(シュヴェタシュバトラ・ウパニシャッド 4.20)

nāhaṁ prakāśaḥ sarvasya yoga-māyā-samāvṛtaḥ
mūḍho ’yaṁ nābhijānāti loko mām ajam avyayam
ヨーガ・マーヤ(内的勢力)に覆われている為に,私(バガヴァーン)はすべての者たちに見ることはできない.こうして幻惑された世界は,始りがなく不滅な私を知らない.(バガヴァッド・ギーター  7.25)

けれども, バガヴァーンは御自分の意思で姿を現わすときのみ、私達は主のお姿を感知することができるようになります。私達は主に姿を現わすように命令することはできません。それは丁度、誰も自国の首相や大統領に対して、自分の目で確かめたいから、見てみたいから来るように命ずることができないのと同じです。しかし、首相や大統領自らが会いに来たら、私達は実際にお目にかかることができますね。

また巷ではよく、創造主である神様は最も年長者ということから、「神: GOD」を老人の姿としてイメージされているようですが、これは完全に物質的な想像による誤ったイメージです。しかしバガヴァーンは、私達のこのような迷妄に陥らせない為に、自らの姿を現わしてくださいます。最高支配者であるバガヴァーンは、永遠に最も美しく清らかな青少年の姿をなさっています。

advaitam acyutam anadim ananta-rupam adyaṁ puraṇa-puruṣaṁ nava-yauvanaṁ ca
vedeṣu durlabham adurlabham atma-bhaktau govindam adi-puruṣaṁ tam ahaṁ bhajami
私(ブランマー・梵天)は、原初の人、根源の神、ゴヴィンダを崇拝する。主は無数の姿に拡張するも、主ご自身は常に同じオリジナルの、最古の人でありながら、瑞々しい若者の姿。その永遠にして喜びに満ちた全能の主の様々なお姿は、最高のヴェーダ学者でさえ理解できない。しかし、純粋な帰依者に現わされる。(ブランマ・サンヒター 5.33)

premañjana-cchurita-bhakti-vilocanena santaḥ sadaiva hṛdayeṣu vilokayanti
主への愛の目を持った純粋な主の帰依者は、実際に主をハートで見ることができる。(ブランマ・サンヒター 5.38)

私たちがバガヴァーンの偉大さを再確認し,対して「自分が如何にちっぽけな存在であるか」に気づき(「汝自身を知れ」),更に「自分がバガヴァーンのような世界の支配者・中心になりたい」というバガヴァーンに対する嫉みが癒え, バガヴァーンに服従するようになると,自己中心的な欲望がバガヴァーンへの愛に昇華されていきます.
こうして意識が純粋になったとき、バガヴァーン自身が姿を現わしてくださいます。バガヴァーンが自らを顕すことによって、私たちは始めてバガヴァーンを見ることができます。

nāyam ātmā pravacanena labhyo na medhayā na bahunā śrutena
yam evaiṣa vṛṇute tena labhyas tasyaiṣa ātmā vivṛṇute tanūṁ svām
至上主は、議論や推論、知性や学術研究によって知ることは決して無い。主御自身の御心によって、主が御自身の神聖なお姿を現わす人をお決めになる。そのような者のみが主と拝謁できる。(カタ・ウパニシャッド 1.2.23)

このようにバガヴァーンと相対することができるようになるには,バガヴァーンがお示しになったヴェーダの真理を、バガヴァーンと直接繋がっているバガヴァーンの悟りを達成したグルの指導によって可能になります.
このような伝統的な教育プロセスを通して,バガヴァーンを正しく理解できるようになり,そしてバガヴァーンを実際に体験できるようになります.
こうしてヴェーダの智識が真実であることが実体験を通して確認することができます.そしてこの体験は,この物質宇宙開闢以来、歴代のアーチャーリャ・指導者たちのそれと共通のものです.このように正しく修練される悟りの道は,体験を伴った実に科学的なものなのです.

以上、第10章 ブラフマンを認識する為に 終了